水引を贈答品にかける風習がいつ頃から始まったのかは、はっきりとはわかりませんが、
お祝いの品にかけたり結び方がいろいろ考えられて盛んになったのは、
室町時代から江戸時代にかけて日本独特の文化が興隆し、
礼儀作法が確立されたことのようです。
水引という言葉を辞書で見ますと、
「細い紙縒に水糊を引いて乾かし固めたのも」(広辞苑)と書いてありますから、
水引という名称は作り方から名前がつけられたようです。
水引の起源は一説にはインドの釈尊が仏事に用いたことからと言われ、
日本には遣隋使の小野妹子が帰国の折り、
一緒に来た隋の使者からの献上品に紅白に染め分けた麻糸がかけられていたことに端を発し、
それ以来宮中への献上品や貴族の間で、紅白の紐をかける習慣になったということです。
当時の日本の政治、文化が中国大陸の影響を受けていたのですから、
水引もその一例であったのでしょう。
このように、あまりはっきりした由来はわかりませんが、
こうした習慣がしだいに民間に広まっていったようです。
また、はじめのうちは、麻糸を使用していたのですが、やがて綿糸となり、
こよりに糊をつけたもの-水引-と形が定まっていきます。
また、昔の紙の生産地では、必ず水引が作られていたということを聞きますから、
紙の発達とも大きな関係があったと考えられます。
礼儀作法の確立、紙の発達、文化交流の中で、各地で水引の習慣が広まり、
結び方も変化し、数々の飾り物が生まれていったと言えるでしょう。
私が水引手芸を教わった昭和十五年ごろは各地でもさかんに水引手芸の作品が作られ、
教授する先生によって流派もでき、結びの名前や形もさまざまのものがありました。
戦後は祝儀袋などはすっかり簡略化され、いっぱんには印刷のものが普及して
各家庭で水引を結ぶという風習も見られなくなりましたが、
現在でも結納品、正月用品に、また豪華な水引手芸の飾り物として
各地で地方地方の特色を生かしながら伝統が守られています。