結びには、水引に限らず古来より人々は願いや思い、祈りをこめてきました。
「秘すれば花、秘せずは花なるべからず」
これは室町時代の能役者・世阿弥の『風姿花伝』のなかの言葉ですが、
あからさまにいわないで相手に感じとってもらう、
そこに日本人独特の美意識があるといっているのだと思います。
このように日本人は以心伝心、目は口ほどにとか、微妙で、美的で、
奥深い他人とのかかわり方をよしとしてきました。
水引を結んで贈り物につけてさしあげるときには、
思いを結びの形にして先様に心を伝えているのです。
感謝の気持ちを形にした感謝結びだったり、秘めた思いを使える思い結びだったり、
仏前に供えたり、神前に奉納したりする場合の結びには、
それぞれの祈りの結び、願いの結び形です。
結びは神仏とのコミュニケーションの手段、手法にもなるのです。
また、水引は、物品を贈り、思いを伝えた時点でその役割を終えます。
その後は解いたり、神社に奉納して焚き上げたりするため、
後に残し保存することはあまりありません。
消えてしまう,なくなることを前提としたひとときの存在としての美しさもまた、
水引にはあります。
戦後は、外国から入ってきた華やかなリボンに
すっかり贈答の主役をとられてしまいましたが、
今また、少しずつ、白い紙で包み、水引できりりと結んだ美しさ、
折り目正しさに心引かれる方々も増えているようです。
また、縁起物としての正月飾り、お守り、根付、床飾り、
日常生活の中でもお祝袋、箸置きなど水引のもつ線の美しさ、
結びの不思議と楽しさを感じている方も多いと思います。
水引は、長い年月の中で、その形が繰り返し使われ、
その時代、時代に人々の生活の中で活かされ、新しい形を生み出し、洗練されて、
美しい形にまで高められたのもです。
そして、次代に伝えるべき、日本人の美しい心の表現であり、
美しいコミュニケーション文化でもあるのです。